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学生の自主性を重んじた全国の自治寮

全国には、寮内の自治を学生が行う、という、学生の自主性を重んじた自治寮が存在します。


自治寮とは


自治寮(じちりょう)とは寮生自らが管理運営に関与している学生寮のことである。自治寮には必ず学生自治組織(以下、寮自治会)が存在する。一方、寮生以外の第三者、例えば学校が全面的に管理運営している学生寮を管理寮(かんりりょう)と言う。
自治寮では寮生自らが寮の管理運営に関与している。国内には百以上の自治寮があり、北海道大学恵迪寮、京都大学吉田寮東北大学明善寮、山手学舎はとくに有名である。
出典 自治寮 - Wikipedia


寮によっては過去において学生運動の拠点として使用された事も有り、現在もなお影響の残る寮も存在する(学生自治会全日本学生自治会総連合等を参照。東北大学有朋寮(2006年に廃寮)が最近の良い例)。 ただし現在では学生運動の反省から基本的には自治寮では政治・宗教・人種に関することはタブーとされていることが多い[要出典]。その場合、寮は個人の信条に立ち入ることはないが、他人にそれを勧誘したり押し付けることは固く禁じられている。 特に政治活動等がタブー視されていない寮では、むしろ政治活動に間近で接することでかえって免疫が寮生につくという教育効果が往々にして見られ、昨今の風潮および左翼思想の新陳代謝の停滞と合わせて結局活動家勢力があまり大きくならないというような力学が見られる。 干渉を嫌う学生が多い風潮の昨今、企業採用などにおいてむしろ、予定調和的でない共同生活を切り抜けられる人材であることが明瞭な自治寮経験者が珍重されるという現象も生じている。



【恵迪寮】北海道大学の寮は自由だった【東進TV】


日本四大自治


日本四大自治寮とは、上記のような自治寮の中でも、特に歴史があり、大規模な大学自治寮の代表的なもの4つを差します(廃止になったもの含む)。
北海道大学恵迪寮
東北大学明善寮
東京大学駒場寮(廃寮)
京都大学吉田寮



自治と青春-京都大学吉田寮(仮)」特報映像


北海道大学恵迪寮


北海道大学恵迪寮(ほっかいどうだいがくけいてきりょう)とは、北海道大学の寄宿舎の一つであり、日本三大自治寮の一つである。
名称は、四書五経書経』の大禹謨 (だいうぼ)より、「恵迪吉、従逆凶、惟影響 —迪(みち)に恵(したが)えば吉にして、逆に従えば凶なり。惟れ影響たり—」 に由来する。
恵迪寮は北海道大学の札幌キャンパス構内に位置している。

恵迪寮は、居住棟であるA - F棟の6棟が、共用棟(G棟)に放射状に連結している配置となっている。A - E棟は各棟5階建てでそれぞれ98部屋(1階が18部屋、2階以上が20部屋)、各階に補食談話室と洗面所が2か所ずつあり、1階には風呂が設置されている。F棟も5階建ての全階18部屋、合計90部屋で、各階に補食談話室、洗面所とシャワーが2か所ずつあり、1階に風呂が設置されている。共用棟にはホールや事務室などがある。なお、食堂は設置されていない。


北大恵迪寮HP









【字幕つき】北大恵迪寮 円山公園ストーム 2018



恵迪寮 今も残る北大生の伝統 HOKUDAI Only One! No.24~北海道大学



飛べ 寮生よ! 北大恵迪寮で名物「ジャンプ大会」


東北大学明善寮


明善寮(めいぜんりょう)は宮城県仙台市青葉区上杉六丁目3番2号(980-0011)にある学生寮である。松風寮の隣に位置する。旧制第二高等学校が仙台市清水小路一番地に明善寮を設立したのが前身である。同高校が北六番丁(位置的には現在の農学部・雨宮キャンパスの南部)に校舎を建設したとき、1926年現在地に旧明善寮が建築された。1945年に東北大学が旧明善寮の一部を霽風寮として借り受け、1956年に東北大学の所管となり、1982年に建て替えられた。

寮内には12のサークル(生活班)が存在する(椰子(椰子の実)、PEEPS(ピープス)、秀蜂、歴研(歴史科学研究会)、Q(クイーン)、新世界、ゆかい(ゆかいな仲間たち)、エト(エトセトラ)、五万(五万分の一)、轍、破天荒(現ハ研・ハレンチ研究会)、山椒)。


東京大学駒場寮(廃寮)


東京大学 駒場寮(とうきょうだいがく こまばりょう)とは、東京大学駒場Iキャンパス東部にかつて存在した学生自治寮である。建設当初から1950年の学制改革による改組までは旧制第一高等学校の駒場寄宿寮だった。東大紛争などで急進派学生の拠点の一つになった。駒場Iキャンパス再整備計画の一環として1991年から廃寮が進められていたが、2001年8月22日に強制執行が行われるまで大学と自治会の間で建物の明け渡しについて争われた。廃寮後跡地に駒場コミュニケーション・プラザが建てられた。
1935年に建設された。旧制高校寄宿舎の多くが木造なのと異なり鉄筋コンクリート構造。3階建て。1部屋に8人から11人が入る大部屋式。設計者は内田祥三。



1998 東京大学 駒場



朝倉幹晴 東大駒場祭講演「駒場寮から考えるコマバの未来」


京都大学吉田寮


京都大学 吉田寮(きょうとだいがく よしだりょう)は京都大学吉田キャンパス吉田南構内にある学生寄宿舎。正式名称は「京都大学学生寄宿舎吉田寮」。以前は「学生寄宿舎」「京大寄宿舎」「吉田近衛寮」などと呼ばれていた。

築105年の吉田寮現棟は第三高等中学校・京都帝国大学の遺構にして、日本最古の現役学生寮、築129年の吉田寮食堂は第三高等中学校の遺構にして、京大最古の大学建築物、築3年の新棟(西寮)は現棟の外観を継承した木造・RCの混構造からなる新しい寮舎である。いずれも吉田寮自治会によって運営される自治寮である。

1897年からあった京都帝国大学寄宿舎(現在の本部構内北西寄りにあったもの)の運営方針を受け継ぎ、吉田寮は原則的に学生によって自治されている。

かつては南寮・中寮・北寮それぞれから選ばれた総務からなる総務部、代議員からなる総代会、全寮生による総会などの機関を設けて運営された。熊野寮が開寮した1965年、総務部制が終わり、投票で選ばれた執行委員長を中心とする執行委員会制に移行した。意志決定機関は総会と寮生大会の二種類ある。総会は月に2 - 3回開かれ、定足数はなく、全会一致制である。寮生大会は年に2回開かれ、定足数があり、多数決制である。

日常的な仕事は厚生部、文化部、庶務部の3つの専門部が担当する。寮生はいずれかの専門部の局・係に必ず属さなければならない。









京大吉田寮自治会側が譲歩の提案



【珍スポット】私には無理! 京都大学 吉田寮 Kyoto University's dormitory ”Yoshida ryo”



2019/2/20 吉田寮自治会記者会見



京都大学 吉田寮