ラーメンフリークにとって聖地とまでなっていた東池袋の元祖の大勝軒、こちらが多くののれん分け店舗を産み、全国に展開していった大勝軒。その発祥から現在に至るまでの変遷をご紹介。
大勝軒(たいしょうけん)とは
「特製もりそば」というメニューがある。
つけ麺の元祖とされており、東池袋「大勝軒」の山岸一雄が考案したものだ。
東池袋「大勝軒」は、1961年(昭和36年)に開業。開業当初から行列の絶えない店として、数々のメディアが取り上げた。
2007年(平成19年)の再開発計画により一時は閉店したが、閉店を惜しむ声に、一年後の2008年(平成20年)に復活。
山岸一雄が創り上げた味と心は、現在、「東池袋大勝軒本店」として、弟子の飯野敏彦が二代目店主として継承し、南池袋、滝野川などを直営店とし、修行を積んだ弟子達は、「大勝軒のれん会」として、地域に愛される味を提供するために、日々精進を重ねている。
元祖つけ麺 特製もりそば 東池袋大勝軒 | YAMAGISHI JIRUSHI TAI-SHO-KEN
山岸一雄
大勝軒のメニューの考案者で開祖。大勝軒ファン、ラーメンファンのカリスマでしたが、
2015年(平成27年)4月1日逝去。80歳没。通夜は同月7日に護国寺で営まれ、ラーメン評論家の大崎裕史やタレントの勝俣州和、猫ひろしをはじめ常連客や弟子ら約600人が参列した。
昔の池袋大勝軒
店舗分類
「大勝軒」は、ラーメン屋の店名の一つ。東京を中心に多数存在する。大きく4つの系統に分類でき、東池袋系と代々木上原系を除き互いに関係はない。
東池袋系(丸長系)
豊島区南池袋2-42-8にある1961年(昭和36年)創業の「大勝軒」をはじめとする系統。
創業者は山岸一雄。
本店は豊島区東池袋4-28-3にあったが2007年(平成19年)3月に閉店し、2008年(平成20年)1月に現在の場所に移転して再開した。地名から「東池袋大勝軒」、あるいは初代店主の名前を取って「山岸大勝軒」とも自称する。
自家製の太麺を大量に使い、豚ガラ、鶏ガラ、野菜、魚をベースにした濃い味のスープが特徴。
80年代頃からラーメンの一ジャンルとして定着している「つけ麺」の発祥とされ、もっとも有名である。
ただし東池袋大勝軒では「つけ麺」ではなく「もりそば」と呼ぶ。
開店当初から行列が出来る人気の店だったが、長年の苦労がたたり40代の頃に下肢静脈瘤で入院し、さらに1986年(昭和61年)に妻が倒れ死去すると夫婦二人での営業から弟子を多くとる方針に転換し、多数ののれん分け店が誕生した。
東池袋大勝軒本店は現在でも「丸長のれん会」に属しているが、東池袋大勝軒からのれん分けして生まれた店は「大勝軒のれん会」に属しており、代々木上原系とは従兄弟店のような関係である。
特徴
スープ…豚骨魚介醤油。
麺…自家製太ストレート麺。並340g。
具…モモ肉のチャーシュー、メンマ、海苔1枚、ナルト、小口切りのネギ、茹で玉子1/2
ラーメン散歩 大勝軒 つけめん600グラム
永福町(永福系)
1955年(昭和30年)創業.。創業者は、草村賢治氏。新潟の農家の三男として生まれ、その後一家は上京。杉並区堀之内で中華麺の製造・卸を営む。その手伝いをしながら、父母から商人の心得を学び、大勝軒を開業することになったという。草村氏が26歳の時、京王井の頭線の「永福町駅」の駅前で店を構えた。
麺量が多く、魚介類をベースにしたアッサリ系スープに細麺を絡めて食う女性的なスタイルと言えます。
中華麺製造卸「大勝軒草村商店」製の麺を使用。
特徴
表面がカメリアラードで覆われた熱々の魚介スープ。柚子の風味も効かせている。
豚骨・背脂・昆布・玉葱・人参・じゃがいも、そして大量の煮干を使った醤油スープ。イワシは長崎産、山口産、茨城産の良質のものをブレンドして使っている。
出典 tabelog.com
大きなどんぶり、大ぶりのレンゲ。銀色の四角いトレーに載せて提供されます。
出典 tabelog.com
出典 tabelog.com
メニュー
シンプルなれど愛されるメニューの数々です。
メンマ推しがすごいです。
出典 tabelog.com
永福町系大勝軒・五一【接写】
永福町 大勝軒
【永福町大勝軒】60年以上愛され続けている中華麺をいただく!【大行列】